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    小野尚美

教育観

私の幼少の頃の将来なりたい職業は「教員」ではありませんでしたが、大学院時代に研究が好きになり、研究を続けている先にあったのがこの職業でした。気づくと、人生の約半分以上の年月を教員として過ごしており、教えた学生の数は数え切れません。最初の教え子は、もう40歳近くになり、社会のそれぞれの方面で活躍してることでしょう。そう考えると、教員になってよかったと思うこの頃です。

学生の知識や興味を
引き出して
知識の獲得を助ける

人として向き合う態度

これまでの教員生活で最も大切にしてきたことは、人として学生と向き合う態度で教えることです。

学生ははるかに私より若く、人生経験も豊富ではないけれども、個性と何らかの特性を備えた人たちであるから、私は彼らの能力のうち英語運用能力や英語教育という学問分野の理解という側面においてだけ関わる立場であるという意識を持って常に接しています。

この態度は、教員にとってとても大切です。英語運用能力や学問知識という側面だけを見る立場にあるのだから、自分が与えた評価がその学生の持つ全ての能力に対する評価ではないことを肝に銘じています。私が持っていない特性や能力を持っている人たちだろうと考え、学生の知識や興味を引き出して、私が教えようとしている知識の獲得を助けるという態度で接しています。

大学のゼミで学生とディスカッションをしているときや雑談をしているとき、私の方がかえって教えられる場面もあります。その場合の「なるほどね。そうかしらね。」という私のことばは、学生との距離を縮める魔法のことばとなっているようです。

このように学生との繋がりを少しずつ持ち、人としての関係性を構築しながら、次第に小さなコミュニティーができていきます。
ゼミの場合、ゼミ長を決めて、ゼミのメンバーとの連絡係としてゼミの運営のリーダーシップを取ってもらいます。授業であれば「コミュニケーションの授業の一員」という感覚です。このような学びの場からコミュニティーが生まれてきます。

おそらくどの校種の教員にとっても、このような学生との場を作っていく感覚は重要ではないかと思います。

学びの確認と復習で
知識を定着させる

学びの振り返りは教員の振り返り

授業には比較的大人数の講義やゼミのように10人から15人程度のクラスがあります。教員になりたてのころは、60人規模の講義で必ず居眠りをする学生がいて、どうしたものかと悩んだことがありました。授業中に起こして目を覚ますよう促しても、それは根本的な解決法ではありません。

職場の先輩に相談したところ、「90分の授業時間をすべて講義の時間に充てるのは得策ではない」というご意見でした。そこで、授業の終わりの10分前に教科書やノートを仕舞わせて、「今日の授業で学んだと思うことをなるべくたくさん箇条書きにしなさい」という課題を出して、最後の10分間で書かせるという活動をやってみました。

予告をせずにやった最初の授業では、眠そうな学生が全員目を覚まし、慌てて授業で習ったと思われることを箇条書きにしていました。その先輩のアドバイスは面白いくらい効果を発揮したのです。これは学生にとっては学びの振り返りですが、私にとっては指導の振り返りとなります。

箇条書きの内容を見ると、私が授業中に強調して説明した事柄が必ずしも書かれておらず、授業の合間の余談の内容が書かれているなど、この振り返り活動はむしろ私自身の教え方の反省材料になり、次の授業の課題のヒントになります。伝えようとしていたことが伝わっていなかった事実を目の当たりにして、教えることの難しさを改めて感じました。

今では、改良を重ねた末、授業の振り返り時間は100分授業の内15分程度とし、授業で学んだ内容について「AはBである」という文言でなるべくたくさん書くこと、単語だけを箇条書きにしてはいけないという指示を与え、必ず課題問題を出し、その授業で最も重要だと私が考えている内容についてどの程度理解しているか書かせています。それを評価して、次の授業では、分かっていなかったと思われる内容について復習をします。

このように授業の最後に振り返りをすることで、毎回の授業でポイントとなるところをしっかりと理解させ、知識を定着させるよう心がけています。授業では、こちらで用意したものをなるべくたくさん詰め込むのではなく、学びの確認と復習にある程度の時間を割き、しっかりと知識を蓄積させながら、教えています。

長年教壇に立っていても、学習者の学びの質と速度を考慮しながら自信をもって教えられるようになったのはこの数年です。

学習者の躓きの原因を
取り除く

学習者に寄り添う教育

私は大学及び大学院で専門科目を教えていますが、もともとは英語の教員です。英語の授業は長年担当していますので、その指導法の改善にも長年工夫をしてきました。教員としてまだ余裕のない時代は、とにかく徹底的に教えて、点数が上がるよう指導することにエネルギーを費やしていました。しかし次第に、そのような指導は、思うような結果を生まないことに気付きました。学びの過程での躓きに注目し、なぜ躓いているのかを見極め、その躓きの原因を取り除くことが重要だと考えるようになったのです。そのような指導はとても時間と忍耐力が必要ですが、分からない所を見つけて分かるようにすることが最もできるようになるための近道です。

2020年に風間書房から『成蹊大学人文叢書17 学習者に寄り添う教育を目指す 』という本(共編著)を出版し、その第1章で、英語を学ぶ日本の大学生を被験者とした英文読解過程における躓きの原因を明らかにする研究結果について報告しました。ここで述べているように、英語指導上の基本は、まず学習者ができたかできないかではなく、彼らの学びの躓きに注目することです。学習者の抱えている難問を解決するためには、学習の途中で思考の絡まった糸をほぐしていく作業に時間をかけなければなりません。

冒頭にも述べましたが、私は30年余りの年月教えていますが、自分の教え方や授業内容については毎年改良すべきところが出てきて、反省を繰り返しています。恐らく、これで完璧だと思って終わる学期はないでしょう。人に教えるということは、それだけ奥が深く、今年もまた新たな課題が見つかり、授業を少しずつ改善しつつ、研鑽を積んでいくことになります。そして、この反省、発見、改善の繰り返しを楽しみながら続けています。